「なぜ」を問いつめると哲学に至る話

散歩しながら考えた与太話を書かせてください。

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トヨタ生産システムでよくいわれる「なぜなぜ5回」というプラクティスがある。

Agile2011 で 九州工大の黒岩先生も紹介していた。根本原因分析を、自分に問うためのツールだそうである。(臨済宗の問答のように他人に問うものではないらしい。妙に腑に落ちた。他人に使えば他人を精神的に追いつめやすいので注意が必要だと感じている。)


MITメディアラボ石井裕先生は、「NHK プロフェッショナル仕事の流儀」のなかで、やはりこのなぜなぜ5回を使って、研究の理由を探求するプラクティスを紹介している。なぜ5回なのか、というと、5回もやっているとその人の「哲学」に至るから、と説明していた。


哲学とは何だろうか。私の理解は、自分の言語化能力を超えたところにあるもの、である。言語化能力を超えているので理由は説明できないが、たしかに存在する欲求とか心理作用というのはある。たとえば、なぜ人はキスで愛を確かめられるのか。花の香りが人を癒すのはなぜか。美しいものをみたいという欲求はどこから生じるのか。なぜ、それをしたいと思ったのか。


野中郁次郎先生は、ホンダのプラクティス「ワイガヤ(合宿)」の説明で、なぜ3日間の合宿を温泉で張るのか、という理由について、3日間逃げ場のない環境で議論することで、1日目には形式的な理由が出尽くし、2日目には本質的全人的な議論のぶつけ合いができる、と説明していた。「形式的な理由なんて一日もやってればすぐつきるんですよ」というのが衝撃的だった。会社や事業部で言われているミッションや社会的意義みたいなものは、もって一日。2日目はなんでクルマを作りたかったか、どういう偏愛をもっているか、みたいなところ、しかもろくすっぽ言語化しないで意気投合したりけんかしたりするんじゃないかと想像している。


学生のころ、宇宙の果てや、宇宙の起源が不明であることや、人間がなぜ生まれ生きるのか、わからないことに関して、結構不安になって考えたりしたものである。しかし、そういうことを繰り返していると、それが普通であることを、何となく理解する。言葉で説明できること、理由を知ることができること、科学的に証明できること、膨大な証明のコストをかけてでも明らかにされてきたこと、なんてのは、毎日おこる連続的な事象の前には、ほんのちっぽけなものに過ぎない。しかし、そのちっぽけなものに、みんな人生をかけるのだ。人生は短い。できることは限られている。


他人の哲学を認める瞬間、というのもある。理由はよくわからないけど、夜中まで一緒に飲むと、仲間になったような感覚になる。そこから先は、「あいつはああいうやつだ」という予測がたつようになり、たいていのことは予測の範囲内になり、協調作業のダンスを上手に踊れるようになったりする。多少のコミュニケーション不足が気にならなくなり、まああいつも大変なんだろう、という感じで許せるようになったりする。ある種の信頼である。理由はよくわからないけれど、経験的に、そういうものだと思う。


石井裕先生は「屈辱感を前向きな力に変えるエンジン」の話も触れている。なぜなぜ5回を繰り返した先にある哲学のそばには、過去の屈辱感とか、達成できなかった残念感とか、もうちょっとなんとかしたいという渇望感など、一見ネガティブな感情が眠っていることが多いような気がする。そのネガティブな感情まで達したときに、「それは正しくない」と論理的にねじ伏せようとすれば、無理が出るんじゃないかとおもう。大事なのは、そういった負の感情を、社会的に有効な作用に変えるための心理的論理的な鍛錬なのではないかとおもう。人生力というか。


よしおかひろたかさんはよく、「自分の周り、半径5メートルの世界をかえちゃう人がハッカーだ」ということをおっしゃっている。イノベーションスプリントの準備をしながら、「かわぐちさんはなんでこれをやろうとおもったんですかね?」とよしおかさんに問われた。私は自分では答えが見つけられないので、「みなさんは、なんで、そうしようと思うんですかね?」と聞き返した。するとよしおかさんはこう答えた「愛です。よ〜く、わかんないけど。」哲学に触れた瞬間だと思った。


不惑もだんだん近づいてきて、できることも限られているので、こういう境地に達するのかもしれない。人生のリソースは少ないから、優先順位をきっちりつけないと、後悔することになるだろう。


スクラムを作ったジェフサザーランドさんは、ベトナム戦争時の米空軍パイロットであった。死と隣り合わせ、変化する状況の中で、できる限りのミッションを達成するため、軍隊では優先順位をはっきりして、事に当たるそうである。余裕があるうちは曖昧な優先順位でいいが、余裕がなくなると、突き詰めて考えることが、重要になる。優先順位には明確な理由があるものも、言語化された理由を見つけづらいものもあるだろう。明確な理由ができないから、そこを議論するのは難しい。だから、だれかを信じてゆだねる方が効率がいい。それがプロダクトオーナーという役割である。プロダクトオーナーは理由以前に人間的な魅力を持たなければ、言語化不可能な領域の判断を皆に納得させることができない。


漫画「ワンピース」の主人公であり、船長のモンキー・D・ルフィに、「なぜ海賊王になろうとするのか?」と聞いたって、しょうがない。そんなことはどうでもよいが、そのリーダーと一緒に旅をしようと、みんなが思っているのだ。作者の尾田栄一郎さんは、そのあたり、ものすごくわかって描いている気がしている。漫画もまた、突き詰めれば、人間の哲学から生み出されているのだとおもう。


たくさんの人生の達人たちに触れることができて、たいへんにありがたいな、というオチである。