小説 渋沢栄一 にいたく感動した

こんなつぶやきをした。
http://twitter.com/kawaguti/status/4499092230

渋沢栄一ブームが突然到来して、小説を読んだ。一橋慶喜の家臣なんだぜ。ナポレオン3世時代のフランスに行ったんだぜ。行ってる間に大政奉還だぜ。

ということで、前から知っていたけど、体調も崩している事だし、いつも読まない方面の本が読みたくてこの本を読んだ。

渋沢栄一は、明治時代に日本の近代経済形成期に大活躍した人、である。日本最初の銀行、製紙会社、紡績会社、証券取引所など数多くの産業勃興に携わりながら、自らは財閥を形成して蓄財するということとは無縁った、無私の人である。

渋沢は現在の茨城県出身で、百姓の家。

  • 幼少期: 家業の藍染めの藍の買い付けで、農家の間で藍の栽培情報を流通させることで、信頼得て、適正な価格で大量の藍を購入する、とかしていたらしい。
  • 青年期: 江戸に剣術と蘭学の勉強に出る。資金は藍の取引で家に余裕ができたためOK。黒船到来後の江戸は尊王攘夷運動の熱がくすぶり、渋沢も従兄弟の渋沢喜作らと、横浜の異人館焼き討ちを企て、武器弾薬を購入して準備を進めるが、未発生に終わる。政府(江戸幕府)に先が無い事を予見していた。京都に出るが、その際に、「京都は尊王の志士が集まっててすごいぜ、幕府はすぐつぶれる」的な手紙を縁者に投げたところ、彼はそれを持っていて投獄されてしまい、渋沢たちも捕縛の危険を考え、縁あって幕府の御三卿である一橋家の家臣となる。後に将軍となる一橋慶喜(水戸藩主の息子)と出会っている。
  • 20代: 会計、商売、農業、近代兵器と人集め がこの時点で分かっている渋沢は一橋家内で頭角を現す。京都の治安を担う一橋家は軍隊を持っておらず、若手を関東で集めてきて初めての近代的な軍隊を組織する。慶喜が将軍になるのを諌める文書を書くが届かず。幕府はフランスの支援を受けており、パリ万国博に水戸家徳川昭武を送り込む事になり、一橋慶喜の推挙で同行することになる。中国、シンガポールなどに立ち寄りアジアに進出する西欧文明と、各国の状況をみる。フランスでは、主に会計担当として、限られた予算のやりくりをしつつ、西欧資本主義の姿を見る。名誉総領事である銀行家フロリヘラルトからも多くを学ぶ。資金は債券取引で運用したらしい。大政奉還をうけ各国留学生に帰国要請がくるが、ためておいた資金を元手にフランス定期船の咳を確保し、日本に順次送り届ける。
  • 30代: 静岡藩徳川慶喜の元で商法会所(投資銀行みたいなもの)を始めるが、新政府に呼び出されて大蔵省に入る。初期の大蔵省は政府以降直後で租税/通貨問題や廃藩置県をはじめ課題が山積であった。渋沢は租税については詳しくなかったが、現場をみてすぐに「現在の作業に謀殺されておりこのままで改革はできない」と大隈重信に進言、改正掛を設置する。井上馨-渋沢栄一コンビで多くの新制度を生み出す。大久保利通と対立して井上とともに下野。第一国立銀行の設立に際し請われて総監となる。第一国立銀行は為替商である三井組と小野組の合弁であり、両者から頭取が出てその上に総監がつく組織になっていた。小野組が破綻。三井一社支配にならないよう、頭取につく。その後、日本初の製紙業(のちの王子製紙)、紡績業(富岡製糸場)などに携わる。製紙業では西欧の技術者を雇うがうまくいかず、社長が米国に渡り修行して帰り立て直す、ということがあり、その後は日本人自ら技術を手がける方向に。

栄一は、新規事業を創始するとき、何の経験もないい日本人が、はたして西欧文明の華を咲かせる事ができるか、まったくはかり知ることができないままに、大金を投じ成果を待った。西洋人にできることが、どうして日本人にできないことがあろうかという勇猛心が彼を前進させた。失敗したら腹を切るというほどの決意がなければ、断行できることではなかった。


小説渋沢栄一を読んで思ったこと。社会創業期には、なんかいろいろ知っている異才が強い。成熟期には分業モデルが確立するため、あんまし必要とされないかもしれない(実際は必要なんだけど、いなくても大丈夫なような錯覚に陥り、それを改めるような危機に見舞われないで、すんでしまう。)。発明の蓄積で分業が揺らぐとまた異才が育つ。20年前くらいに予想された通り、ITやネットは十分に分業をゆるがしている。