よい仮説とは棄却しやすいものである

社内勉強会で読んだ本で、よい仮説の話があって、今日ちょっと質問を受けたので、その部分を第2版から抜き書きしました。いや、勉強になった。

(読んだというか、統計に詳しい後輩の人たちに教えてもらう会でした。)

Karl Popper was the first to point out that a good hypothesis was one that was capable of rejection. He argued that a good hypothesis is a falsifiable hypothesis. Consider the following two assertions:
1. there are vultures in the local park
2. there are no vultures in the local park
Both involve the same essential idea, but one is refutable and the other is not. Ask yourself how you would refute option A. You go out into the park and you look for vultures. But you do not see any. Of course, this does not mean that there are none. They could have seen you coming, and hidden behind you. No matter how long or how hard you look, you cannot refute the hypothesis. All you can say is "I went out and I didn't see any vultures." One of the most important scientific notions is that absence of evidence is not evidence of absense.

 

[ざっくり翻訳]

 

Karl Popperは、よい仮説とは棄却可能なものであることを最初に指摘しました。 彼は良い仮説は偽にできる仮説であると主張しました。次の2つの言明を考えてみましょう。
 A.近くの公園には大鷲がいます
 B.近くの公園には大鷲はいません
どちらも基本的な考え方は同じですが、一方は反駁可能であり、他方は反駁的ではありません。 どうやったらAを否定できそうか、考えてみてください。あなたは公園に出て、草原を探します。しかし、あなたは何も見ませんでした。もちろん、これは存在しないという意味ではありません。大鷲はあなたが来たので、見えないところに隠れたのかもしれません。 あなたがどれほど長い時間を費やし、頑張って探したとしても、仮説を否定することはできません。 あなたに言えることは「私は行きましたが、いかなる大鷲も見ませんでした」ということです。 最も重要な科学的考え方の1つは、証拠がないことが不在の証拠ではないということです。

 

 棄却しやすいのに棄却されないとなれば、その分、仮説(インサイト)としては強そうです。「全ての人が朝歯磨きをする」という仮説は一人でも歯を磨かない人がいれば棄却できます。それなのに、ずーっとインタビューしても否定されないとなれば.... その仮説の有効性にはかなり自信を持つことができるんじゃないでしょうか。(以前テレビでインド人は夜カレーを食べる、というのを数十軒回って証明してまして。正しくないにしてもインサイトはあるもんだなと思いました) 逆に、歯を磨かない人もいるよね、というのは、調べるまでもなく、正しそうです。そこにインサイトはなくて。ある属性の中で、80%の人は歯を磨く、というのも意味がありそう。そうやって、属性を絞っていって、80%の人がやるような行為が見つかれば、なんかできそうな気がします。

 

Statistics: An Introduction Using R

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