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勤勉という言葉の意味

まだ梅田望夫ウェブ時代をゆく」を入手すらしていない私(書店にあったら買うと決めているが、たまにいく書店では並んでない)だが、ブログ上での紹介やインタビュー記事などからキーワードは拾えるので、読んでもないのに考えさせられていて、ウェブって怖いですね。

小野和俊のブログ:現代という時代において、遊び人が賢者になるための道

私は、梅田望夫氏の「好きなことを貫け」というメッセージを全面的に肯定している - つもりだった。

しかし梅田氏が「徹底的に勤勉であること」という表現を使っているのを見て、

私の考えている「好きなことを貫く」ことと梅田氏の考えている「好きなことを貫く」こととは

異なるものなのかもしれないと感じている*1。

*1 とはいえ、梅田氏の「けものみち」や「優等生」に対する発言を考えると、ベクトルは同じで、程度の問題なのかもしれないと思っている。

で、「好きを貫け」で「けものみち」である。

「好きを貫いている人間が勤勉といえるのかどうか?」という文脈での「勤勉」とは、「勤勉な奴はいやなことを淡々とこなせてすごいなぁ」という意味での「勤勉」であろうと思う。

で、逆に「ドラクエに100時間集中できる俺ってなんだんだろうな。これも一種の勤勉なんじゃなかろうか」という展開もありではないだろうか。

前者は「好きでもないけど勤勉な人であれば続く」

後者は「好きなことには誰しも勤勉になってしまう」

ということである。

世の中に意味のある結果を出すには、好きか嫌いかにかかわらず、勤勉であることは求められる。

なら好きなことに勤勉になった方が楽だし、アウトプットも質が高くなるんじゃなかろうか。

背景として、「好きなことの延長で勤勉になり、アウトプットを出す」という考え方自体が、現代では成立しやすくなってきていて。すごく昔は「物理学オタク」とか「化学オタク」が学術的に高い成果を残してノーベル賞、だとか、割と狭い門だったのかもしれないけれど(極論)、最近はいろいろ間口が広いよね、と。特にコンピュータ系はたくさんチャンスあるよね。・・・という展開があるのかなぁ、と想像する。

ニッチをみつけて、そこに他人より早く存在を成立させることが必要なのであって、好きか嫌いかは本来あまり関係ないのだろう。

だが、そこに向かっていく方法として、「好きである方が成功しやすい」「苦手な分野もやってるうちに好きになって気がつけば第一人者」なんていう話は、戦術としてあるんだと思う。

というわけで、まだ、「Web時代をゆく」を読んでいない。