表現の進化、解釈の進化 -- HTML、Wiki、知識の再生産

先日、会社に学生さんが訪問され、ランチを食べながら、おっさんの過去話に話が咲くという、思い起こせば随分と迷惑な会を開催しました。個人的にはWebってなんだっけ、というようなことを思い起こす機会になり、非常に有益でした。

ちょっと思ったことをメモします。ヨタ話です。

HTMLの進化は、再生産方法の進化

美しいデザインをWebの上で再現できたら、もっとリッチな体験を簡単にユーザーに届けることができるのに。PCへのソフトウェアのインストールや、ダウンロードや、印刷した本や資料の配布の手間をなくして、もっと早く、もっと簡単に。Webってこうして進化してきたと思います。CSSが作られ、PDFやFlashが普及し、HTML5で各ブラウザ単体での表現力が確保されてきました。

特定のツールで作ったバイナリデータ(=再生のためだけのデータ)の再生というのは、表現力は高いし、ツールが使いやすければ作る手間も少なくてすみます。しかし、バイナリデータはそれを生み出すためのデザインや設計の情報が欠落してしまっているため、基本的に編集ができません(加工や切り貼りとかはできますが)。

美しい風景の写真を見て、それを美しいと感じることはできても、なぜそれを美しいと感じるのか、同じように美しい風景を自分の手で生み出すにはどうしたらいいか、はっきりとは分かりません。複写できることと、その意味を解釈できること、そして、同じような価値を持ったものを生み出すことには、大きな隔たりがあります。

形あるものを、人が操作/解釈可能な言語で生み出すための方法が、HTMLの流れの中でも、じつは脈々と進化してきたんだなぁ、とおもったのでした。

パターン、Wiki、XP

Webを作ったティム・バーナーズ・リーはHTTPというプロトコルに、"書き込む"というメソッドを用意していましたが、実装されたhttpサーバでは、CGIという外部プログラム呼び出しの手法を用意し、そこでページに書き込むプログラムを配置する、という手法がとられました。初期のWebは誰かが書いたものを、多くの人が共有する、という特性を中心に普及しました。これはたぶん、紙の書籍や資料の利用のされかたからみても、割と近いモデルだったんだと思います。

パターンランゲージという、形式知を生み出す手法のために、Ward Cunninghamが生み出したのが WikiWikiWeb という仕組みで、これは、Webの世界で読むことと書くことを一致させる優れた(実装可能な)やり方として普及しました。マークアップもHTMLではなく、もっと簡易な(表現力は汎用ではないけど)Wiki記法が生み出されました。ブログから電子書籍の編集システムにいたるまで、Wiki記法に似たマークアップ記法を使ったアプリケーションが普及しています(このはてなダイアリーもそうですね)。

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

まねる、見いだす、やれるようになる

人の人生は有限なので、先人や同僚の生み出したものを、自分もできるようになる。自分ができることを、他の人にもできるようになってもらう。模倣や教えること、訓練や学習といった活動は、きっと社会的生物である人間にとってはとても重要な仕事なんだと思います。

そのために、学習曲線が低く再生産しやすいツールを整備したり、教え方やファシリテーションを学んだり、良いものがなぜ良いのかを表現する努力を重ねています。

私はここ数年、アジャイル開発とか、スクラムとかいったものを教えてもらったり、教えたりする仕事をしてきました(個人的には、柄にもなく、と思っているのですが)。そのなかで、まねられるようにしたり、こういう風に考えたんだよ、こういう風にやるんだよ、ということを伝えることは、とっても大事で、なかなかに習得が大変なスキルなんだろうな、と感じています。