先週末はオープンセミナー広島さんにお邪魔してお話させていただきました。資料は下のものです。資料冒頭で「西島カーブ」の話をしました。
前日に観光に行った呉市の大和ミュージアムで、呉の海軍工廠の成り立ちから戦闘艦を国内生産する話を勉強しまして。そこで科学的管理法が連呼されてて、なんだろうと思って調べたわけです。
そうしたら、西島技術大佐の「西島カーブ」というのにたどり着きまして。
http://hesaka.sakura.ne.jp/nishizima.html
もう10数年前に前間孝則の「戦艦大和誕生」を読んでいた時、主人公であるところの西島亮二が呉工廠で工程管理を行うために生み出された「西島カーブ」なるものが出てきた。しかしこの工程管理手法についての説明は概略のみであり、また造船所勤めと言え設計部所属で、工作や工程管理についての知識が無かった為に理解することができなかった。またネットで調べても当時は何も引っかからず、詳細については判らず仕舞いだった。
これむっちゃバーンダウンチャートなんです。実績をみて、将来を予想する。昨日の天気。大和の建造は、同型の戦艦武蔵の半分の工期でできたそうです。やばい。
戦艦大和誕生はこちらです。軍艦の製造に電気溶接を初めて導入したり、すごい話がたくさん出てきます。西島カーブのくだりはこちら
海軍では従来から、工事ごとにかかった工数の集計値は常に記録していた。しかし、こうしたやり方に対し、西島はこう言いきっている。
「最終点(最終の集計工数)の資料に非常に重点が置かれているが、これは一顧の価値もない」
その根拠として、西島ならではの次のような分析があった。
事前に見積もった予想される総工数(最終点)と工事スタートのゼロ地点を直線で結び、この右肩上がりのグラフ線に先の能率曲線が重なってうまく一致すれば、仕事は理想的に一定のペースで進行していることになる。途中で両グラフの傾斜がバラついて離れてくれば、なにか問題が起きて作業の能率を落としていることを意味する。その場合、造船官らはただちに原因を突き止め、早めに対策を打つことで、後続の作業への影響を最小限に抑えることができる。
それまでの海軍のやり方では、予算(見積もり額)と実績が最終的に一致するかどうかが問題だった。西島に言わせれば、これは責任上のつじつま合わせのための集計にすぎないという。
これでは、どこの職区、どこの職種で、どの程度の能率が悪かったのか(あるいは良かったのか)がつかめない。これがつかめなければ、次の鑑定建造の見積もり時に、工数をどのくらいに設定すべきかもわからないまま、同じことを繰り返すことになる。
次の建造工事の際に、あらかじめ前の工事で起きた問題点を潰しておけば、問題が起きなかったときの順調な能率曲線を設定しても差し支えないことになる。
能率曲線を刻々と描き、そのデータを感染の建造ごとに蓄積していけば、そpの後、新しく船を建造するときの有益な参考資料となる。人員の適正配分や予算の正確な見積もりにも利用できる。
造船の工事があまりにも複雑多岐にわたっているために、従来は、職区別、職種別ごとに、しかも刻々変化する能率を把握してきめ細かく管理していくのは無理だと考えられていた。その意味では、西島は造船の世界に能率の考え方をはじめて持ち込んだともいえる。
読み終わったらまたなにか書くかもしれません。