記号式投票用紙はなぜ実現されないのか?のメモ

台湾の投票用紙(写真と氏名が印刷されていて、上に印を押すだけ)を見て「これ日本でもできるのでは」と思ったところから、Claudeと一緒に制度を調べ、案を出し、潰し、組み替えた記録です。候補者名が印刷された用紙から選ぶ方式は、日本の法律用語では「記号式投票」と呼ばれています。調べてみると記号式は告示後の印刷が大変で採用自治体が減っており、それなら用紙を変えずに済む方式はないか、と考えました。結論だけ先に書くと、投票用紙は現行のまま、候補者名と候補者番号のどちらを書いてもよいことにする(ただし番号は誤読しても他の候補にならないように設計する)という案に落ち着きました。駅ナンバリングの選挙版です。

日本の投票用紙はどう決まっているか

  • 自書式が原則です。公職選挙法46条で「候補者の氏名を自書する」と定められています。国政選挙を変えるには法改正(国会)が必要です。
  • 地方選挙は条例で記号式にできます(46条の2)。記号式とは、候補者名をあらかじめ印刷した用紙に、有権者が○をつける(またはスタンプを押す)方式のことです。海外で一般的な投票用紙や台湾のものも、日本の法律用語ではこれにあたります。用紙の様式は公職選挙法施行令で決まっています。
  • 1994年の政治改革で国政選挙にも記号式を導入する法改正が通りましたが、一度も使われないまま1995年に自書式へ戻されました。
  • 最高裁裁判官国民審査は氏名印刷済みの用紙に×をつける方式で、これは既に記号式です。

記号式は減っている

  • 『選挙時報』のデータでは、首長選で記号式を採用する自治体は2006年末の284団体から2020年末の225団体へ約2割減っています(神戸新聞 2021/12)。議会選は28議会のみで、いずれも候補者の少ない補欠選です。
  • 東京都港区は2012年に区長選を記号式にしましたが、2025年3月に廃止条例を可決しました。理由は「候補者が多くなると選挙の執行自体が難しくなる」(東京新聞 2025/3)。長野県小布施町も1964年制定の条例を2020年に廃止しています。「投票用紙の印刷が徹夜作業だった」とのことです。
  • 廃止理由はほぼ実務です。告示日に立候補が確定してから印刷を始めるので時間がありません。期日前・不在者・点字投票は法令で自書式に固定されているため、用紙が混在して有権者が混乱します。

総務省の研究会は何を議論してきたか

総務省「投票環境の向上方策等に関する研究会」の報告書(2015年中間報告、2016年9月、2017年6月、2018年8月)を読みました。記号式そのものの議論は1994〜95年の国会審議やそれ以前の選挙制度審議会など、もっと前に政府や自治体など関係者で行われている可能性が高く、この研究会の数年分を読んだだけで全体像を語れるわけではありません。以下はあくまでこの研究会の範囲での話です。

  • 記号式・投票用紙の様式・番号記入は議題になっていません。「記号式」という語が報告書に出てきません。
  • 議題は共通投票所、期日前投票の弾力化、郵便等投票の要介護3への拡大、在外選挙のインターネット投票など、「投票所に行けない人」の話に集中しています。 無効票・疑問票の話は電子投票の文脈でだけ出てきます。2018年報告は電子投票のメリットとして「疑問票や無効票がなく有権者の意思を正確に反映できること、自書が困難な有権者も容易に投票できること」を挙げ、専用機が調達不能になったのでタブレット等の汎用機で再挑戦すべきと提言しています。
  • 「無効票は電子化で解決する」と整理されていて、紙のまま様式を変える発想は検討対象に入っていないようです。

最初の案:用紙に「1・2・3」を印刷しておく

記号式廃止の主因が「告示後の印刷」なら、候補者番号だけを用紙に固定印刷しておけば告示前に刷れます。番号と氏名の対応は届出順のくじで決まり、ポスター掲示場の番号と一致させられます。

ここから「氏名か番号のどちらを書いてもよい自書式」という変形も出てきました。参院比例が既に「政党名か候補者名か」の併記自書式で運用されているので前例があります。

致命的な欠陥

議論されていない案には、議論されていない理由があるはずです。探した結果、これだと思いました。

無効票と誤配分票は等価ではない。

  • 氏名の誤記は無効か按分になります。開票で見えますし、誰の利益にもなりません。
  • 番号の誤記(7を1と読む)は別の候補の有効票になります。開票で見えず、事後に検証も訂正もできません。

番号自書式は「検出可能なエラー」を「検出不能なエラー」に変換してしまいます。無効票が2%あるより、誤配分票が0.2%あって誰も気づかない方が選挙制度としてはるかに危険で、接戦なら結果を変えます。一桁の数字は情報量が小さすぎて、1と7の字形の近さがそのまま候補者間の票の誤配の起こりやすさになってしまいます。

台湾式や記名式は欄内に丸をつけるだけなので字形は関係ないですし、候補者名を書く方式なら、稀に似た名前の候補者がいる場合にのみ問題になる程度でしょう。

三つの要件と各方式

要件 自書式 記号式 番号固定記号式 番号自書式 電子投票
告示後に印刷しない ○ × ○ ○ ○
有権者に書かせない × ○ ○ × ○
候補者数に上限なし ○ × × ○ △
  • 番号固定記号式は候補者数が枠を超えると実施できません。2024年都知事選は56人でした。
  • 電子投票も56人から1人を選ぶUIの問題は残ります。1画面に載らないので掲載順効果は紙より強く出ます。2018年報告も画面サイズと候補者間の有利不利を課題に挙げています。
  • 自書式は唯一、候補者数に対して無限にスケールする方式です。日本が自書式を捨てられない本当の理由は伝統でも法理でもなくこれではないか、と思っています。

落としどころ:番号併記自書式

自書式を残したまま、通常時の負担を下げる案として、候補者名もしくは候補者番号を記入する方式、というのを考えてみました。

  • 公選法46条に「又は候補者番号」を足します。用紙は現行のままで、期日前・不在者投票も同じ用紙です。
  • 番号は誤読しても他の候補の番号にならないように設計します。手書きで紛れやすい数字の組(1/7、0/6、3/8、4/9)を避けたリストを施行令の別表にしておき、選管は届出順のくじで表の上から割り当てるだけにします。有権者も選管も設計思想を知る必要はありません。
  • 紛れやすい組の根拠は、自書式の投票用紙読取分類機を作っているメーカー(ムサシ、グローリー)が持っている手書き数字の混同行列から取れるはずです。郵便番号の自動読取で数十年の蓄積があります。
  • (オプション)同日執行(小選挙区・比例・国民審査)で用紙を取り違えたときのために、選挙種別のアルファベットを頭に付ける案もあります(K-25、H-42)。字形が遠い文字を選べば、取り違えは文字が合わず無効に落ちます。ただ有権者に書かせる情報が増えるので、複雑すぎるかもしれません。まずは番号だけで始めて、取り違えが実際に問題になってから検討する方が良さそうです。

開票ルールは先に決めておきます。

  • 有効な番号のみ → その候補
  • 氏名のみ → 従来どおり
  • 氏名と番号が両方あって一致 → 有効
  • 両方あって不一致 → 氏名を採る(番号は誤読されうる弱いチャネル、氏名は強いチャネル、という設計思想と一貫させます。不一致票の件数は番号の誤記率の実測データにもなります)
  • 表にない番号 → 無効

駅ナンバリングの選挙版

構造が細部まで同じです。

  • 名前を置き換えずに併記する
  • 導入動機は「読めない・書けない人の利便」だったが、結果として全員に効く
  • コードは表で機械的に決まり、利用者は規則を知らなくていい
  • (接頭辞まで入れるなら)路線記号のような接頭辞で文脈を運ぶ

違いは、駅ナンバリングは読むためのコードで、投票は書くためのコードであることです。手書きの紛れやすさへの配慮が要ります。

残っている課題

  • 有権者が候補者番号を間違いなく理解できる必要があります。投票所内に番号と氏名(できれば写真)の掲示を置けば、台湾式の「見て確認する」要素はここで回収できます。掲示の誤りや差し替え忘れが唯一の「告示後に作るもの」になるので、選管が一元作成して設置写真を提出させるくらいの運用は要ります。
  • 番号を書く人と氏名を書く人が混在するので、無効票削減の効果は番号を選んだ人の分だけです。利用率はやってみないと分かりません。
  • 掲載順効果(番号の若い候補が有利)は残ります。くじで対処するしかありません。
  • 条例で認められるのは記号式までなので、地方選でも試すには法改正か特区的な扱いが要ります。
  • 開票作業の実務はかかわったことがないので、どの程度作業に悪影響があるのかはわかりません。氏名と番号の混在に投票用紙読取分類機が対応できるか、疑問票の判定基準がどう変わるか、開票立会人が新ルールを理解できるか、あたりは実務の人に聞く必要があります。

次のアクション(可能性として)

  • 研究会委員だった実務寄りの研究者に「なぜ番号記入案は出てこないのか」を直接聞いてみる。過去に潰された議論があるなら知っているはずです。
  • 選管の団体(全国市区選挙管理委員会連合会など)経由で「現場の実務負担が減る提案」として上げてもらう。記号式廃止の理由が実務負担なので、選管側の利害と一致します。
  • そもそも無効票がどのくらいあるのかを数字で示す。総務省は国政選挙のたびに「選挙結果調」という集計を公表していて、そこに投票総数と無効投票数が載っています。国政選挙の無効票はだいたい投票総数の2〜3%と言われていますが、これを最近の数回分について実際に確認し、「この制度で減らせる票が何万票あるか」を桁で示せるようにしておきます。提案を持ち込むときに、効果の大きさを最初に問われるからです。

参考