スクラムの真の源流を探る - 野中郁次郎先生からの伝言

多くの人が「スクラム=ソフトウェア開発手法」と認識している現状を見て、少しもったいないなと感じることがあります。実は、スクラムの源流は経営学の巨人・野中郁次郎先生(1935-2025)の研究にあり、その本質はもっと深く、もっと広範囲にわたるものなのです。

私は初めてスクラムを知ったとき、その背景に野中先生の影響があることに驚きました。そこから多くを学んでいく中で、日本のプロダクト開発黄金期にあったはずのものを、どうやったら取り出して、現代の私たちとして活用することができるだろうか、と考えてきました。野中先生、ジェフ・サザーランド博士、本間さん、竹内さん、南野さんのご協力を得て、できる限りの情報を集めて、スクラムの枠組みだけではくみ取れない、成功のためのディテールを集めてきました。

(2025年1月25日、野中先生がご逝去されました。先生のご冥福をお祈りするとともに、その偉大な知的遺産を受け継いでいくことの重要性を改めて感じています。)

スクラムの源流 - The New New Product Development Game

1986年に竹内弘高・野中郁次郎両氏が『ハーバード・ビジネス・レビュー』に発表した論文「The New New Product Development Game」は、日本よりもむしろ米国でヒットしたそうです。この時代は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、日本の製造業の低価格・高品質が世界を席巻していた時代です。

hbr.org

この論文では、従来の段階的な「リレーレース型」開発に対して、チームが一丸となってボールを回しながらゴールを目指す「ラグビー型」開発を提唱しました。

3つの開発タイプ:

  • タイプA(シーケンシャル型)NASA型の段階的開発
  • タイプB(刺身型):隣接するフェーズの境界でのみ重複(富士ゼロックス
  • タイプC(ラグビー型):複数のフェーズにまたがって重複(ホンダ、キヤノン

1993年、Jeff Sutherland博士がEasel Corporationで最初のスクラムチームを結成しました。これは野中先生の論文に着想を得たもので、日本の製造業で実践されていた手法をソフトウェア開発に応用したのです。

 

スクラム」という言葉の誕生 - ホンダ初代シティ開発

スクラム」という言葉は、ホンダ初代シティ開発プロジェクトから生まれました。このプロジェクトに携わった本間日義さんが野中先生に「スクラム」という言葉を伝えたのです。この言葉が The New New Product Development Game に掲載され、Jeff Sutheeland 博士はそこから Scrum という名前を採用します。

🎥 参考動画:【日本語字幕付き】RSGT2025 本間日義氏 クロージングキーノート
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ホンダシティプロジェクトチーム(平均年齢27歳)は「若者が乗りたいと思うような車を作れ」という指示のもと、「マシン・ミニマム、ヒューマン・マキシマム」というコンセプトで業界の常識に挑戦。ホンダの「ワイガヤ」(フラット、異種混合、異論争論の場)という組織文化が、現在のスクラムにも通じる本質的な要素を生み出していました。

トヨタの主査制度からの影響

Jeff Sutherland 博士は、2005年の発表「Roots of Scrum」の中で、トヨタの初代プリウス開発プロジェクトを調査した野中先生の論文を参照して、その共通点を多く語っています。『スクラム』では、トヨタの新車開発におけるチーフエンジニア(主査)の役割を参考にし、それをプロダクトオーナーとスクラムマスターの2つに分けたことが語られています。

陸軍士官学校ベトナム戦争での経験を振り返ってみても、リーダーシップと権限の有無は無関係だという指摘には、私もそのとおりだと思っている。数ある要素の中でリーダーシップにとくに重要なのは、知識とサーバントリーダーであることだろう。チーフェンジニアはただこうしろと指示を出せばいいのではない。メンバーを納得させ、うまくその気にさせて、自分が提案するやり方が正しくベストなやり方だということを示さなければならない。普通ならその道で三〇年くらいの経験がなければ務まらない役割だ。これをスクラムに取り入れようと考えたが、相当する経験とスキルを備えた人はなかなかいない。そこでこの役割を二つに分け、仕事の進め方をスクラムマスターが、仕事の内容をプロダクトオーナーが管理する分担制にした。

トヨタ竹内氏・南野氏による実証研究

2023年3月、トヨタ自動車の社内アジャイルコーチである竹内伸一氏、開発プロセスを統括する南野圭史氏らが中心となって、私もアジャイルコーチとして参画し、初代プリウス開発者たちのアーカイブビデオ(7本)を分析しました。さらに両氏は、初代プリウスの主査であった内山田竹志氏にもインタビューをおこなっています。

そのサーバント型のリーダーシップスタイルから、実際に、スクラムとの共通点が多く見つかってきました。

🎥 参考動画:初代プリウスにみるアジャイル開発の要素と現代の環境での進め方について 


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分析で見つかったスクラムの要素:

  • Cross-Functional Team:大部屋で一緒に不具合を解決
  • Working Agreement:G21行動規範を自分たちで決定
  • Self Management:「世の中のために必要」という高い士気
  • Test First, Sprint Review:試作初号車を半年で作成
  • Type C Scrum:開発量産並行

野中先生が語る、スクラムの哲学的基盤

野中先生は米倉誠一郎先生との対話で、スクラムの哲学的基盤を明かしています。このビデオは野中先生自身が、イノベーション研究からスクラムへの展開を説明している点で非常に重要な資料だと思います。

🎥 参考動画:【CR-SIS特別講義】野中郁次郎 × 米倉誠一郎『賢慮資本主義とソーシャル・イノベーション 
(関連部分頭出し: https://www.youtube.com/watch?v=ipuwbFanqMY&t=2359s)


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重要な洞察:

  • 「ソシアルの原点はペア」:異質な人間同士がぶつかることで新しい価値が生まれる
  • 知的コンバット:「徹底的にコンバットをやって、どちらが正しいかわからないところまでやり抜いた時に、初めてひらめく」
  • 実践知(フロネシス):「最初に理論ありきではない。最初に思いがあって行動があって、その本質を極めて初めて同時に形式化する」

実践者コミュニティへの招待

人は学ぶためには、前提となる実践知が必要です(三宅なほみ先生『教育心理学概論』)。ただエピソードを聞くだけでは、現代に活かせません。私たちも変化のただなかでもがき続ける実践者として、一つ一つを理解し、形にしていくことが重要です。

Jeff Sutherland 博士はベトナム戦争において二人乗りの偵察機 F-4E ファントムのパイロットで、護衛もなく最も危険な偵察任務を何度もこなしたそうです。そのあと、医学博士を取得し、外科医向けのソフトウェアを作る企業のCTOなどを歴任しました。多くの実践の中で、ペアやチームが価値を生み出す方法について、学んでいったのだと思います。

私たちは実践者が集う場所として、Regional Scrum Gathering Tokyo(RSGT)を、2011年から行っています。昨今は十数秒でチケットが完売するほどの熱気に包まれ、参加者自身の実践について報告・議論し、オープンスペーステクノロジーで全員で議論を高めています。私たちなりのSECIモデルのスパイラルアップの「場」であり、元ホンダの本間さんからは、当時のホンダにあったような議論の場が「ここにありましたね」とご評価いただきました。

来年は1月開催予定。現在プロポーザル募集中です。

confengine.com

10月1日・11月1日正午からチケット販売予定です。

pretix.eu

 

最後に

変化のただなかにいる実践者は、自分たちで記録して詳細に分析する余裕はありません。今とりうる情報の中で、今とりうる選択肢を選び続ける。その泥の中を進むような努力(マドルスルー)こそが、イノベーションにつながります。ですから、渦中にいる本人たちではなく、外にいる野中先生らによって形式知化され、Jeff Sutherland 博士による体系化を経て、スクラムとして日本へ還ってきました。スクラムの歴史そのものが、野中先生のSECIモデルの実例といえることに驚かされます。

暗黙知(Socialization)ホンダシティ、プリウスの現場での知的コンバット
形式知化(Externalization) → 野中先生らによる理論化、竹内・野中論文
連結化(Combination) → Jeff Sutherland 博士らによるスクラム体系化
内面化(Internalization) → 日本のソフトウェア業界への導入、トヨタでの再発見

この壮大な知識の循環を理解することは、私たちがスクラムを活用し、真の力を発揮させるためにも役立つはずです。それは、みなさんの現場の実践の中にしかありません。

「何がグッドか、何がベターかということを今ここで過去現在を総合しながら、絶えず試行錯誤の中で本質を極めていく。それはやっぱり真剣勝負ということを通らないと」 (前掲のビデオのなかでの野中先生の言葉)

スクラムは単なる手法ではなく、「われわれ」というつながりの中で真の共感と共創を通じた価値創造を実現する、人間の生き方そのものなのだ、と野中先生は私たちに伝えています。