英語公用語化の会社に入って1年が経った。英語を使えるように勉強しようと思ってから10年、実際に海外の人と関連した何かをするようになって3年くらいになる。もともと英語そのものを勉強するのは苦痛で、高校の小テストでは毎回赤点 (数学や化学もだけど) だった。それが、10年前に Internet World というカンファレンスに当時の会社に行かせてもらったときに、話している内容はだいたい分かるが質疑応答に全くついていけない自分を発見して、「ここに存在する意味がない」という現実に愕然となったときから、ちょっと英語をまじめに勉強しようと考えた。
ベルリッツに半年通って300点ほどTOEICが上がった。その後は自習教材の定番「Grammar in Use」をやった。日常会話でのサバイバルの自信がついたので毎年海外に修行と称して旅行するようになった。カンファレンスに出るようになったのは5〜6年後くらい(今ならもっと早く発見できたと思うのだけど。なんせ国内の勉強会にも行ってなかったから...)。時間はかかったが10年前よりはだいぶマシになった。10年かかってできることは10年前に始めたからこそである。当時の自分にお礼をいいたい。もちろん、いまだにネイティブのように話すことはもちろんできないし、たぶん、普通に会話している人達から見ればだいぶ英語はできない方だと思っている。面倒くさがりなので、その辺は贅沢を言っても仕方がないだろう。自分のダメさはよくわかっている。
グローバルに考え、ローカルで行動する
国や言語圏を超えた情報のやり取りや議論、ビジネスは英語で行われている。これはアメリカが欧米がどうのこうの、ということではなく、一番リーズナブルな言語として英語が選ばれ、勝手に使われているということになると思う。グロービッシュとも言われる。もちろん母国語が英語の国はグロービッシュに対応しやすくて有利だ。日本だってやりたければ英語を公用語にする選択肢はあるはずだ。インドやフィリピンは元々英語が母国語ではないし、そもそも植民地支配された宗主国の言語だから感情的なものもあったりするのではないかとすら思える(知らない)。全員が英語による教育を受けられているわけではないだろうが、学んだ人は英語によってビジネスチャンスを得ているはずだ。
国際的なビジネスをする一部の人だけが英語を学べば、とりあえずビジネスはできるかもしれない。収益機会を拡げなければいけない企業にとっては、顧客にも英語を求めるというのは、現時点ではナンセンスだろう。ローカルの人達はなによりも母国語で顧客とエモーショナルなコミュニケーションができないとビジネスでの信頼を得ることは難しいだろう。
その一方で、効果的なビジネスをするために、海外からの情報収集は必須になっている。そこには収益機会もあるし、イノベーションもあるし、仕入れ元や納入先もあるかもしれない。これはまつもとゆきひろ氏が言っていたのだと思うけど、コミュニケーションをする上で、「エラー訂正」できないことは致命的になる。間違った情報をただすには、より多くの情報を交換し、誤りを検出できるようにする、というのがエラー訂正技術の根幹だ。だから、より多くの専門性を持つ人が、英語のコミュニケーションができることは、非常に役に立つはずだ。マルチパス・マルチレイヤーの通信を確立するということだ。すでに、観光に関連する人達は最低限英語は対応できるようにしている。飲食店では英語のメニューがあったりする。スマホで英辞郎を引いて魚の名前を検索することもできる。パソコンもスマホも標準で日本語と英語を切り替えられる他言語仕様になっている。組織とか社会もそういう風になってきている気がする。
日本からの発信なのか、日本人の貢献なのか
「日本からの発信を!」という話をよく聞くようになった気がする。いいことだと思う。でも、軽率だとも思う。あなた様の話が日本に興味がある海外の人に面白く聞いてもらえることはよくあるかもしれないが、普遍的な知識として通用するだろうか、その評価と確証はどの辺で得ているのだろうか。テストしてないコードの品質はどのように測っているのだろうか。(もちろん、そういうペシミスティックなことを言っていると、全然先に進めないしトライもできないのはわかるので、自分の感覚の方がよくないことはわかっているのだけれど、その辺りを課題としてクリアできるといいなぁ、とよく思う)
きっとあなたには貢献できることがある。それは日本からの発信というより、あなただからできることがあり、偶然にあなたは日本人だった、ということではないだろうか。
学んだことは、無駄にならないこともある
大学時代にドイツに語学留学した友人がいた。「英語なんてやっても普通だから、ドイツ語」と言っていた。私は英語だけで十分(できないし...)と思った。その彼が数年後に英語を勉強していると言った。一言語をすでに習得しているから楽だと言っていた。人は関連によって覚えていく。だから、学んだことは実は無駄にならないものだなと思った。
英語なんか必要ない、と思うのは自由だ
「必要ない!」と思い込むことは可能だが、知らないことを必要ないと判断することは難しい。他の人が誰もそれをやっていなかったときには、それをやる人は優位性がとれる。他の人がみんなやっているときには、それをやらないことはリスクになる。知らないことはさらに不確実性に直面することになる。
全てのことを知ることはできない。
未来の自分は、過去の選択の結果だ。